1977年 初めて訪れた嘉手納基地でF-4ファントムと共に盛んに飛行訓練をしていたのが、SAC所属のKC-135Aであった。胴体には、SACバンドを描き右手には、スフィンクスと爆弾のインシグニアが美しく描かれていた。この頃のKC-135Aは、アルミ地に文字や国籍マークを入れたもので 後に薄いグレー色、そして暗いダークグレーなどに塗り替えられている。ここの一連のページでは、嘉手納などで撮影できたKC-135Aの身近な部隊から外来の機体なども少しご紹介したい。

1970年代嘉手納に常駐していた第376戦略航空団(376h SW)は、第2次大戦中 第367爆撃群として B-24リべレーダー爆撃機でエジプト・リビヤ方面での戦闘に参加した部隊であった。インシグニアにスフィンクスが書かれているのもそうした経緯からであると想像できる。戦後もB-47などを配備された戦略爆撃部隊として任務に就き 1965年から第4252戦略航空団の名前で嘉手納に常駐 一時はベトナムに向かうB-52部隊の支援活動などで110機ものKC-135を運用していた。1970年に 第4252戦略航空団は、第376戦略航空団に名称変更されている。(2022/4 記)
(64-14838)

1977年3月 嘉手納基地で訓練を終えて帰投した376th SW 909th ARSのKC-135A(59-1462), 後にQ型に変更され927th ARW、92nd ARWと移動した。

(60-0337)
↑ KC-135A(60-0337)は、SR-71専用のKC-135Qの改装され SR-71A引退後 KC-135T(基本R型と同型)になっている。この機体もマクディルAFBにいたことが確認されている。
↑ KC-135は、開発時期が、1956年であるから 2022年時点ですでに65年が経過しているわけで エンジンを改装されR型になったとはいえ 非常に息の長い機体である。写真の64-14838も64年度会計年度の機体だから KC-135Aとしては最終的に造られた新しい機体ではあるが、それでもまだ使われていれば、そろそろ還暦を迎える。後にR型に改装されマクディル空軍基地の927th ARWで確認されている。
(59-1480)
↑ この59-1480もKC-135Qへの改造後、第100給油飛行隊へ移管され、後に通常型のT型に戻された機体で、マクディルAFBでも存在が確認されている。
(63-8012)
↑ この機体63-8012は、1976年に当時のSAC司令官ラッセル・ドハティ将軍が否定的だった特別塗装を大胆に施した記念すべき機体となった。尾翼のラダーは、赤白の横縞に塗られチップが青地で”76”と書かれた。KC-135がACCやANGに移管される前のSAC時代には珍しい事だったのだ。2016年にティンカーAFBの部隊マークを入れて 横田基地に飛来したのが確認されている。
(57-1499)
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↑ 当時の嘉手納基地には、376th SWの他 SR-71Aへの給油を担当していた100th ARSがビール基地から派遣されていたが、機体の左側は、同じSACマークであり 右側面が見えないと所属が判別できなかった。但し 376th SWのKC-135Aは、数も多く 外来の部隊から応援をもらう事は少なかったようで 外来KCの撮影機会は少なかった。
第376爆撃群は、B-24の4個飛行隊を統合的に運用した最初の爆撃部隊で ルーマニアのプロエシュチ油田爆撃などにも参加した有名な部隊であった。主な活躍場所は、北アフリカ リビヤ イタリア方面で 当時のインシグニアから継承されていることが判る 
Insignia of 376th bombaedment Group
(59-1462)
Wings